最近こんな事がありました、と例え話をあげたり、その日の出来事を感情に任せて書いたり、すると当事者の目に入って傷付く事があります。
そうならないようにちょっと時間を置いて書いたり、ムシャクシャしたまま書いたモノは置いておいたり。そして後日冷静に整えて投稿する。
実際この文章も過去に書いたモノの清書です。
「想いのパターン」をタイミングをズラして世に発信すると面白い発見があったり、勘違いされたり。
アレって僕の事ですか?
わざと時期をズラして(名前を伏せて)Aさんを肯定しながらBさんを否定した時に、Aさんの方から「アレって僕の事ですか?」とネガティブな連絡を受けた事がある。
逆に否定したはずのBさん自身からは「アレって僕の事ですか?」と連絡が来たことは無い。
人に迷惑を掛けるタイプの人は自分に対する嫌味な文章を読んでも自分の事だとは気付かず、人に気を遣えるタイプの人の方が自分への否定だと勘違いして傷付いてしまう。
気にしたもん負け。みたいな。。
どこの国が一番クリエイティブか
先進5カ国でAdobeが行った「どこの国が一番クリエイティブか」という調査で日本は世界一に選ばれながら、「自身をクリエイティブだと思うか?」の問いには日本人の回答が最も低かったという話を思いだした。
投稿に向けて整えている
ちなみにこの文章は、
たまたま色んな後輩からの相談を受けてた時期が最近落ち着いたので投稿に向けて整えているんですが、、「時期をズラす」という気の遣い方は合っているのだろうか?もしかしたら相談内容をタイムリーに世に発信する事でその子の心を慰める事も出来るかもしれない。
何処に気を遣って何処にメスを入れるのか?
それが難しく、まだ世に出していない本音もあります。SNSで気を遣い過ぎると「発信する意味が無い」「面白くない」になってしまう。。
そうならない一つの手段として「文章」を「アート」と捉えてみる事がある。
あくまで僕の感覚です。
それなりのTPOは存在します。
アートはアーティストの自由な表現と思う人もいるかもしれませんが、少なからずそれなりのTPOは存在します。
SNSは新しいPlace。
新しい場が増えれば、
新しい表現が増えます。
ほら、ワクワクしてきた。
僕の好きなやつです。笑
自由よりも不自由で制約がある方が独創性が生まれる時があります。
本当のアーティストは時代に関わらず、時には時代の流れ自体もクリエイティブにまとめあげるはず!
と信じて。
っと、
コレはまた別の話で書き留めてあるので。
また。